ここに写る「花ちゃん」は、この写真を撮った次の日の朝に亡くなっていました。
当時、この写真を撮った私は「かわいく撮れたなぁ~」と言ったような憶えがあります。
でも今は、この写真を見返すたびに「花は具合が悪かったのかも知れない」「自分の死がわかっていたのかも知れない」と思えてなりません。
花は私たち家族にとって特別な存在でした。
寝相は悪いし、いびきもデカイし、すぐキレる。
おもしろくて本当にかわいい愛犬でした。
今回は、そんな花が亡くなったときの話をしようと思います。
花は亡くなる前夜9時ごろ、私が写真を撮ったあと父と一緒に寝室へ向かいました。
普段から朝が早い父と一緒に寝るのが花の習慣でした。
その日もいつもと変わらず、自室へ向かう父のあとをトコトコついて行きました。
本当にいつもと何の変わり映えのない普段通りの光景でした。
翌朝5時半ごろ、廊下から父の声がしました。
「花が死んどる!」
私は急いで飛び起きて花のところへ向かい、母も隣の部屋から起きて来ました。
花は廊下にある自分の寝床で亡くなっていました。
いつも父の横で朝まで一緒に寝ているのに、なぜ廊下で亡くなっていたのか?
その理由は、今でもわかりません。
いつものように、目は半開きで眠っているようにしか見えませんでした。
しかし、口の周りに少し吐いたような痕があり、舌が紫になっているのが見えました。
母が「花…花…」といいながら撫でて泣いていましたが、私はなぜか冷静で母の背後からしばらく花を見つめていました。
あれほど「花が死ぬのは考えられない」「花が死んだらショック過ぎてどうにかなる」と思っていたのに、
亡くなった花に一切触れることなく部屋に戻って布団に入りました。
ほんとに涙も出ませんでした。
あまりに突然で、あまりにショックで花の死を受け入れられなかったのです。
それから10時近くになって私は亡くなった花の側にいき、そっと花のからだに触れました。
花のからだは、まだ少し温もりがありました。
私は花を抱きかかえ、何度もしっかりと抱きしめました。
お昼を過ぎて花の母犬や娘たちにもお別れをさせて、家族と一緒にペット霊園に行き、私たちもそこで最後のお別れをしました。
両親は火葬のスイッチを押せないというので、私が押すことにしました。
「今まで本当にありがとう」
「生まれ変わっても、また家へ来てくれよ」
「俺が死んだ必ず会おうな」
そう言いながらスイッチを押したときの感覚を、今でもはっきり覚えています。
火葬が終わり家に帰ると、出迎えてくれた愛犬たちのなかに花はいません。
その瞬間、本当に花はいなくなったんだと実感しました。
「花…なんで死んだんや」と悲しみが込みあげて来ました。
ポメラニアンの平均寿命は12〜15才と言われていますが、
花は9才になったばかりで、5才上の母犬よりも先に旅立ってしまいました。
愛犬の死を受け入れられない飼い主の方がいても当然のことです。
私もいまだに、花や花の母犬である菊のことを忘れることができません。
忘れようとも思いません。
あの子たちは、私たち家族に賑やかで楽しい時間をあたえてくれました。
花が生んだ2匹の娘たちは12才と10才になり、花の年齢を超えました。
今も元気で私たち家族に、癒しを与えてくれます。
そして孫娘のキリは今年で無事に5才になりました。
こうして今でも、花や菊は私たち家族と繋がっています。